「ワールドカップが終了したら監督を辞める」というのはいかがなものか

日本代表監督がジーコからオシムへ変わり、代表サポーターとしても気分一新と行きたいところなのだが、なんだか「もやっ」としている。もちろん、ありえない失言やらで段取りが悪い日本サッカー協会の無能ぶりがそうさせているのは明白だが、それ以前からすこしおかしくないだろうか。

つまり、ワールドカップが始まる前、「ワールドカップが終了したら監督を辞める」と発言するのはいかがなものか。ジーコにしろ、トルシエにしろ、あれからして、おかしいのではないか。

別に日本を監督業のステップにするのは誤りではないが、ステップされるわれわれの立場はどうだろうか。日本を踏み台にしているという下心が見え隠れして、正直、あまり心地よいものではなく、惨敗したら責任をとって辞任する形を、あえて先取りしてクッションにして和らげているようにさえ思える。
いや、あの発言こそ、深淵では日本を馬鹿にしているのでは・・・。
はたして彼等がブラジル、フランスの監督だったら、自ら大会前に辞めるとは言わないだろう。

一方、われわれも「ワールドカップが終了したら監督は辞めるもの」ということが当たり前のように感じてないだろうか。しっかりと結果を踏まえ、辞任によって責任を取らせる機会さえ放棄しているようにも思える。

今回の場合、ジーコは5月には辞任を公言してしまったため、辞任という形でW敗惨敗の責任すら取らなかった。よって、ジーコには食い逃げされたような嫌な違和感さえある。
ま、それがラテンの普通のやり方なのだが、日本サッカー協会もそれにお付き合いしてしまい、どこかルーズになっている。次の監督を決める以前に、もっと、長期的な視野が無いのだろうか。(・・・ないのだろう)

たしかに4年という節目はちょうど良いが、あまりこだわる必要も無いだろう。フェリポン、ブルースアリーナのように、長期で見ても良い。
(年齢からして監督業のステップなど考えていないであろう)オシムには一年後との契約で、7、8年ぐらい日本を見てくださいくらいの長期的なイメージがあってもいいのではないか。もちろん、結果がでなければ、2年であろうが、辞任の言う形で責任をとらせる。
それが普通なのだが・・・。