<選評> 日本 0-1 ボツワナ

立ち上がりから、主審はほぼボツワナ寄り。あいかわらず日本へのファウルは無笛。まず、中国優勝へ有利になるシナリオは日本が勝たないこと。それでいて日本が負けても困る。つまり、0-0の引き分けが理想なのだが、結果的に第二試合で中国が北朝鮮に敗れたため、中国人の主審はボツワナに優勝を与えてしまうこととなった。

日本の失点は、たしかに事故みたいな失点だったが、前半はさほど悪くなかった。すこし動きが重かったが、相手が引いてきてるので、中盤でボールを持つことが出来た。ボツワナは日本のサイド攻撃にはまったく対応できていなかった。もっと、サイドから起点にする攻めで十分にチャンスは作れたであろう。その辺を徹底できず、後半は選手交代でチームのバランスが完全に崩れてしまった。これは、監督の采配の意図がチームバランスではなく、個々のやる気に置かれたため、連携崩れは当然の結果といえよう。

もちろん、選手個々にイージーミスも多く、集中力や寄せの甘さもあった。だた、3日間で中1日3試合をこなすというハードな日程の中、よくやっている。選手にしても、この大会の意義も(戦力チェックなのか結果なのか)不明確で、モチベーションもあがりにくい。反町監督に「絶対に優勝しよう」と檄を貰っているわけでもない。

いまだ代表でゴールのないカレンは運がないだけだ。こうなれば五輪本大会まで溜め込んで爆発するしかない。それに、彼は代表では逃げ切りたい状況で使われてよいFWであり、ある意味、巻以上にチームに尽力する。巻同様、彼に得点を期待する時点で、反町の起用や人選が誤っているといえよう。

こんな試合をしてるから、最終予選には不安が残るのは当然だ。ただ、22日はぶっつけ本番でも、国立のベトナム戦はふつうに勝つであろう。ただし、水野、家長、本田の個の能力でベトナムをなんとかねじ伏せられても、チームとして完成されているカタールにはその差が明確に浮き彫りになる。(ちなみにベトナムはこのステージに来る相手ではない。アジアカップ・ベスト8の自信がどこまでといったところか)

日本は、まず、監督を変えることである。いまなら(状況は振り出しに戻ったことで)同じことであるから、まだ間に合う。ただし、後任の引き受け手はいないであろう(だから続投という悪循環)。あの日本の入った組合せ(日本、カタールサウジアラビアベトナム)を見れば、予選敗退の汚名の責任を取らされるだけである。反町はそういう意味では、「かませ犬」的な役割を日本サッカー協会から課せられている。その点には、大いに同情を禁じえないが、どうしても反町は加茂と被る。精神論というか、高すぎる理想と天邪鬼でチームを運営するから、現実と乖離が起きやすい。また、選手を好きに選べないクラブ監督が選手を責めても仕方ないが、代表監督が選手を責めてはいけない。自分が人選したのだから、その辺の無自覚さか、それとも(人に対する)認識の遅延か。一年かけて形を作れなかった監督というのも珍しい。

「気持ち、やる気、覇気、すべて見られなかった。この1年は何だったのか」といった戦後の反町のコメントだが、どうやら、彼は選手を高校サッカー選手のように捉えているようだ。反町自身が顧問か先生のように立ち振舞っている間、このチームはいつまでたってもチームにならないであろう。正直、まだ、U-20の吉田靖の方が、采配はともかく、和という意味でのチーム作りはまともであった。

過去ブログでさんざん書いてきたが、今のチームの現状は「課題」を見つける云々のレベルにすらなく、まったくの柱のない家であり、チームに方向性も、戦術も、なにもない状態である。唯一、残された日本の可能性は、柏木をチームの中心に据え、平山、水野、家長、本田、安田、谷口が彼の指揮下で動けば、驚くほどに見違え、誰が監督であっても、ふつうに戦えるであろう。だが、それはないであろう。ハイリスク・ハイリターンとして認識されてしまうからである。