川淵、マスメディアが使う「サポーター」とは「コンビニ客」のこと
*辛辣記事3連投になりますので、あしからず。明日から通常に戻ります。
「サポーター」とはたしかに便利な言葉だ。昨日までサッカーを見たことが無い人でも、スタジアムに行けば、サポーターになれる。そして、好きな時に辞められる。もちろん、また、好きな時になれることも出来る。まるであると便利で、ないと困るコンビニのようだ。
事実、ワールドカップの日本戦で、普段はまったくサッカーを観ておらず、フランスW杯、ドイツW杯で初めてサッカーを観たという人が意外と多かったというのは驚きだったが、当然、そんな彼らもサポーターになってしまう。
とにかく、なんであれ、どんな理由であれ、一時でも、一瞬でも、応援している瞬間さえあれば、サポーターと名乗れる。当然、自分の生活を犠牲にしてまで、マイクラブのホーム&アウェイのゴール裏に通うサポーターも、当然、サポーターである。ここで、この両者におけるサポーターの深淵について議論しても、当然、結論などはない。「コアとにわか」で括るのも瀟洒ではない。
ただ、サポーターを見る側の被サポーターの視点を持つ立場の人はどうだろう。サポーターから金を取り、情報なり結果なり、なにかを提供するマスメディア、Jリーグ、日本サッカー協会、当然、クラブなどがそうだ。
とくにマスメディア、Jリーグ、日本サッカー協会は、スポンサーがいる手前、サポーターをお客さんとすることに間違いはないのだが、サポーターを一般のコンビニの買い物客(大衆)と同じにしていないだろうか。
今回の川崎に対する一件はもちろん、夏前にも、日本サッカー協会が、日本代表戦のポスター告知で使った埼スタの赤を青に変えてしまうように、(代理店の下請けがやったとはいえ)慎重に扱わなければならないのに、そういった配慮も無く、サポーターの気持ちはないがしろにする傾向がある。サポーターという客の本質を完全に誤認し、コンビニ客と同じに扱ってしまっている。
なら、コンビニ客ではないサポーターとはなにか?。それは、なによりクラブが好きで、応援してるチームが勝ってくれることを願っている人である。たとえ、負けても、気迫や気持ちが伝わる試合ならば、許容する。そういうものであろう。彼らは誰かに金銭を要求してるわけでもなければ、モノや形にならない無形のものだけを求めている。完全なボランティア活動なのである。
逆に、金銭を要求するマスメディア、Jリーグ、日本サッカー協会が、そんなサポーターをどれだけ分かってるのか。たとえ、わかっていたとしても、頭だけで理解してるか、はたまた不感性なっていないだろうか。わからない元凶は、「スポンサー > サポーター」という構図に行き着くのではないか。
特に、日本サッカー協会にとっての本当のお客さんは「スポンサー」であり、お客さんのためのお客さん、つまり、スポンサーのためのサポーターになってしまっている。そんな日本サッカー協会の川淵会長もJ立ち上げで尽力したそ、その功績は消えることは無いが、その後の彼の地に堕ちた言動や経過については説明不要であり、もはや、彼が「サポーター」などという言葉を使うと、嘘臭くなる。川淵の認識しているサポーターとは、「大衆」そのものであり、スポンサーのためのお客さんに他ならない。
川淵、大手マスメディアからすれば、当然、「サポーター = コンビニ客」になる。