<選評> 日本 2-1 北朝鮮

立ち上がり、日本が押し込まれたり、連携が出来ていないのは当然である。本来、これまで使ってきた選手でなく、U-20の選手、久しぶりに呼んだ選手といったように「寄せ集め」の状態だから、チームとして成り立っていない。もちろん、立ち上がりが悪いのは日本代表各世代での傾向であるが、この日の試合は決してそうではなく、単純に反町監督がチームとしてピッチへ送り込んでいないため、代表監督としての仕事としては丸投げといえよう。解説者と監督の仕事の違いがようやく身にしみてきているのか、それとも、まるで分からないのか。いぜんとして、選手のポテンシャルに頼り、試合の展開に左右されるのは何も変わらない。

それでも、時間と共に、選手の順応力が回転してくると、フリーになっているファーの選手を見つけては、ボールを渡せるようになってくる。日本の2ゴールの最初はセットプレーで無難に決め、二つ目は谷口のヒールパスが通った時点で決まり。けっして、自分達の形で取ったゴールではない。どちらかといえば、運が良かったといえるかもしれない。よって、この試合においての評価はしにくいというのが正直なところである。

結局、瞬間、瞬間はチームとして機能したとしても、90分間、ゲームを組み立てていたのは北朝鮮であり、日本は縦パスかサイドを使うだけで中盤での構成力がまるでなく、テレビ実況が「ボールも人も動くサッカーを目指してます」と解説しても、目の前では、まるでオーストラリアのような中盤省略サッカーをしているのだから、聞いていて耳が痛くなる。中盤のスタメンの人選も谷口、枝村、上田だが、選手個々で見るとすばらしいが、グループとして考えるとバランスが悪い。たとえば、谷口はスーパーサブ的に使えるし、上がりからカットインしていくことで、持ち味が生きるように、3人ともクラブでの持ち味はまるで出てない。むしろ、殺されていた。これは監督の配置ミスでしかない。まるで大学教授が臨床実験しているかのような印象で、正直、反町の実験材料になっているかのようである。

試合での主審は酷かった。シュミレーションにひっかかるわ、枝村へのとび蹴りやハンドを見逃すわ、ファウルの基準も一定ではなく、なにより試合の流れを読んでいなかった。主審の世界に競争原理を入れないと、いつまでもこのままであろう。

負けはしたものの、北朝鮮は弱くはない。すこし雑な部分もあるが、自分たちのやろうとしているサッカーは見えている。少なくとも日本より形になっていて、北朝鮮と同じ組のイラク、オーストラリアは相当、手を焼くものと見られる。

とにかく、最終予選は必ずやってくる。もちろん、成熟している時間はない。始まってから選手の「ポテンシャルと勢い」だけでとんとん勝つか、バランスの悪さを露呈してあっけなく敗退するかのいずれしかない。加えていうと、五輪本大会まで、延長、PKのある決勝トーナメントの試合を経験できないのは痛い。やはり、去年のアジア大会グループリーグ敗退は痛かった。そういった真剣勝負での経験値が選手、監督ともに不足しているのが、今後の最大の懸念である。

次は中国戦だが、おそらく、かなり苦戦するであろう。予想は1点差での敗戦。