将来の日本サッカー界を担うのは選手?指導者?それとも・・・

先日、「人口が少ないのに、サッカーの強い国があるのはなぜなのか」で、日本サッカー界には、欧州・南米に比べて、激しい競争「システム」がない趣旨の内容を書きましたが、今回は、さらに特化して「指導者」についてです。


Jリーグ・トップチームでの指導者は別になるが、現状、全国の指導者の大半が「学校の先生」止まりになっていて、本格的なプロの指導者が極めて少ない。指導する場所が小学校、中学・高校サッカーという小さな世界に限定されてしまい、また、(彼らも)なにかしら別に仕事を持っていたり、教員と掛け持ちしたりしていて、コーチだけで飯が食える環境ではない。さらに彼らがいくら優れていても、各自がスタンドアローンに独自の指導法を持っていて、それがそこだけのもので終わってしまい、ノウハウが分散されてしまっている。最低限、指導する場所はあっても道が無い状態になっているのが現状といえる。

これはすべての世代をカバーできるクラブがなんとかしなくてはならないだろう。指導者で飯が食いたい人も多くいるはずで、将来も見据え、地元地域へ向けて指導者育成に投資するのである。他で結果を出した指導者はクラブでスカウトするも良いし、クラブが金を出して有望者にはコーチ留学させたりして、コーチで飯が食えるように職業として本格的に確立しなければならない。一部の有能な指導者がトップにいるのは偏りであり、裾野にまで手広く息づくネットワークになっていなければ、どうしようもない。現状では、指導者の「普及、育成、強化」のどれすらスタートしてない状況といえよう。


また、逆に選手を指導する点で見ると、日本人が日本人に教えても限界がある。
日本は指導者がオーダーして、選手がオーダーに応える形が多い。もちろん、これはわれわれ日本人に合っていてとても良いが、実際の試合で選手が混乱すると、どうにもならない場合が多い。2002年ワールドカップ日韓大会でのトルコ戦で日本代表がなんとなく試合をして終わったように、オーダーだけでは選手に主体性が生まれない。

一案として、オランダかフランスの外国人コーチを連れてきて、下部組織でマンツーマン指導したりするといいだろう。日本の考え方に彼らの考え方やノウハウを応用・MIXして成熟させる。外国人指導者が老年だとなおさらいいかもしれない。千葉もオシムが(監督として)就任して、コーチまがいの指導で選手全体に主体性が出たように、やはり、彼らは技術だけでなく、ものの考え方を教えてくる。なぜ、そうなるのか。どうしてそうすべきなのか。この先、どうなるのか。選手を自ら考えさせる術に優れているといえよう。

具体的な成功例として、(別ジャンルだが)10年連続でラグビー大学選手権ファイナリストの王者・関東学院大学ラグビー部が、本場オセアニアから外国人コーチを招聘して、徹底的に本場さながらのコーチングをし、見事に既存の大学には無いスタイルを確立した。これは、高校時代は無名だった選手がいきなり関東学院で活躍する理由のひとつでもある。

もちろん、彼ら外国人指導者と日本の指導者で刺激を与え合うのも良い。彼らのやり方を取り入れたり、柔軟に対応できる環境が大事といえる。
それと、こんな記事を見かけた。

日本のベンゲルに!望月 指導者留学
 元日本代表のMF望月重良(33)が“和製ベンゲル”を目指し、欧州へ指導者留学することが分かった。名古屋、市原(現千葉)などでプレー。昨季は横浜FCに所属したが、股関節痛が完治せず引退を決断。今後は指導者として世界を目指す。「目標は“和製ベンゲル”。常に冷静で組織的なサッカーをつくりたい」と抱負を語った。
 3月に渡欧し、名古屋時代の恩師でアーセナルベンゲル監督、マンチェスターUのケイロス・コーチを訪ね、プレミアリーグの新シーズンが始動する7月には、本格的に指導者としての勉強を始める。 

留学は良い経験になる。
南米・欧州では、練習のための練習でなく、試合のための練習でもない。すべてが実戦であり、試合である。全員が生き残るわけではない熾烈な環境が、日本では経験できない緊張感を生む。そんな厳しい環境にコーチとして身を置けば、学ぶものは相当なものであろう。

留学も、だいたいにおいて自費などになってしまうようだが、留学費用を日本サッカー協会が一部援助するとか、(今は講演と講習、セミナーもやってるようだが)もっと指導者へのサポートを増やすべきであろう。


最後に、指導者というフィールドが、行き場の無くなったサッカー選手の再就職先になってはならない(解説者もそうだが)。これは低下しか招かない。そもそも選手と指導者はまったく別の職業である。それにコーチは元サッカー選手でなくてもいい。元スター選手ならば求心力があり、選手経験者であることに越したことは無いのだが、元選手は経験から指導できる利点があるだけで、コーチが絶対に元選手で無ければならないということはない。むしろ、違う視点で指導できるかもしれない。なにより人を育てるのがうまい人でなければ、コーチは難しい。これには向き不向きがある。やはり、根本は指導者と選手とのコミュニケーションがなにより大事であろう。相手を理解できなかったり、表現力や伝えることの下手な人は、どんな元スター選手でも指導者には向かないだろう。


未来の日本サッカー界を担うのは選手、指導者どちらというわけでもなく、両者が二人三脚で対等の環境になければ難しいといえよう。今はすべてにおいて選手が充実しすぎている。もちろん、指導者のみならず、日本ではスカウト、代理人、審判、解説者、記者などのサッカーに関わるビジネス市場があまりにも狭い。世界に比べるとなおさら狭すぎるし、選手の社会的地位だけが突出していてバランスが悪すぎる。こういう点では、競馬界の方がビジネスとしてバランスよく発達しているのかもしれない。



次回、機会があれば、(生意気にも)日本の審判についても書こうと思います。