人口が少ないのに、サッカーの強い国があるのはなぜなのか。

人口が少ないのにサッカーが強い国をよく見かける。

イタリア、スペインの人口は日本の半分以下、ポルトガルにいたっては10分の1である。
人口が少ないのに、どうしてサッカーが強いのだと、素朴に疑問を抱く者もいるであろう。

純粋に人口の数字で強さを物語ろうとするのであれば、13億もの国民を擁する中国が世界で一番サッカーが強くなければならない。だが、実際はそうではない。人口が多くても、インドのように弱い国もあれば、オランダのように人口が二千万人いないのにサッカーが強い国ある。
では、なぜ、そういった現象が起きているのであろうか。

答えは簡単である。

要するにシステムがあるかないかでしかない。
つまり、(幼年期からの)厳しい育成システムがあるかないかが大きなポイントになる。それさえあれば、たとえ人口が500万人でもサッカーで強い国になるし、どんなに人口が多くても、(たとえ素材頼みでエリートが生まれても)競争システムが確立できていなければ、なにもならない。


たとえば、幼年期に見込みのある少年層がスカウトによって収集され、年端も行かないまま親元を離れてサッカー漬けの毎日を送る。毎日が競争で、見込みの無いものはどんどん淘汰され、選りすぐられた者が数パーセントの中で生き残る。トレーニングも何十年にも渡って作り上げられた独自ノウハウを元に、プロ並みの環境の中で実戦とともに鍛え上げられる。

極論だが、つまるところ、若い中国人を2千万人ほどを集め、オランダのシステムに乗せて、試験し、厳選して欧州式のトレーニングを課し、過酷な実践を積ませれば、中国はまたたくまに強くなるであろう。ただし、いまのところ、そういった機会とシステムが中国に無い。そして、現在、中国はそういった育成の動きを少なからず見せている。

また、ウェールズアイルランドなどのように自国ではなく、(移民や海外移籍などで)イングランドなど(隣国の)サッカー強国のシステムを借りて強くなる場合もある。


日本も人口は多く、世界では人口ベストテンの10位に入っている。欧州ほど熾烈ではないが、それなりにサッカーの育成システムは持っている。だが、その競争システムの入り口が幼年期ではなく、中高生くらいの段階から本格化するため、欧州に比べてスタートの出遅れ感は否めない。また、日本のシステムの中身も日本独自のもの(過保護で温室)であり、まだまだ改善の余地がある。スーパーな存在を求めるならば、競艇学校並みのスパルタ教育・厳しさが求められるいのかもしれない。

また、日本もスポーツが多様化してきている。ひと昔前は野球市場の一人勝ちであったが、最近はマスメディアが若きスターの青田買いをしており、サッカーのみならず、ゴルフ、スケート、レーサー、格闘技、スノーボードなどウィンタースポーツなど、若者が選ぶスポーツの選択肢がマイナーにまで多岐にわたっている。これによって才能も分散されてしまう。

では、今後、人口の多い日本のサッカー界は、どのようにすればいいのであろうか。
福島ビレッジで日本サッカー協会が育成プログラムをスタートさせているが、あのような一部の限定的なものではなく、根本的に、Jリーグの各クラブが今以上に裾野を広げ、下部組織に人材(外国人コーチ含む)を注ぎ、投資を行うかにかかってくる。そして、早くから選手をスカウティングし、自ら育てて高値で売るという(日本では人身売買のような)ビジネスが浸透しないと難しいであろう。もしくは、幼年期から、(芽が出るかはさておき)欧州のビッグクラブの下部組織で育てるというのも選択肢もある。

もちろん、アジア人と欧米人にはフィジカル、身体能力の差もあるが、メキシコやスペインは体格差ではアジア人とさほどかわらない。むしろ、すばしっこさやスタミナは日本人に分があるといっていいだろう。

日本がサッカーで世界のトップグループに入れないのは、数多ある理由の中でも、厳格な品質のシステムが完成してないということを忘れてはならない。それは一言でくくるとサッカー文化があるかないかということにもなる。悲しいかな。欧州に比べたら、まだまだ発展途上の余地である。

森本の登場を待つのではなく、森本を作るシステムがなければ、いつまでもこのままである。